2008年4月22日火曜日

二重の屋根

去年3月の土蔵解体のときにはかなり多くの写真を撮った。多く撮ったつもりであったが、もっといろんな角度から撮っておけばよかったと後悔しきりである。今になって写真を見ていると、現在の様子と比べることができるし、普段は見ることのない建物の内部構造を見ることもできる。とても面白いのだ。

たとえば屋根。たいていの建物で屋根には瓦やトタンやカヤが葺いてある。それは見えるけれど、その下はどうなっているのだろう。屋根裏は暗くて、ホコリだらけで、湿っていて、変なにおいがして、時にはうれしくない生き物がいるかもしれないから、できればのぞき込みたくない場所だ。だから解体のときが貴重なのである。
この写真は屋根と壁をすっかり取り去って、構造材だけの骨組状態になったときのものだ。

一方こちらは、その少し前の状態。 屋根も壁もまだ少し残っている。そして屋根が二重になっている様子がよく分かる。

同じ写真の屋根の部分を拡大したのがこれだ。 下の屋根は壁に続いていて、厚い土がしかれていた。断熱、防湿のために昔の人があみ出した工夫であったのだろう。二ヶ所に矢印を描きこんである。そこを別の角度から撮ったのが次の写真である。


その部分の様子はこのように材が交差している。
こんなのがよく見えれば 随分しゃれていると思うのだが、普段は目に見えないところであるのが残念。外側の屋根とその下の屋根との間には、かなりの空間がとってあるということだ。 昆鳥庵では、ここには現代の断熱材がたっぷりと敷いてある。そのおかげで四代目は初めての冬の厳しい寒さをしのぐことができた。夏の暑さに対する効果はまもなくわかるだろう。

2008年4月15日火曜日

「ろ」と「竹」


解体の写真を見ていたら、大黒柱の近くの垂木に「ろ」と文字が書いてあることに気づいた。

「ろ」だけではなく、その左の方には「竹」とあるのも見える。



昆鳥庵ではこの部分が台所とダイニングとの境目になった。この角度では大黒柱は見えないし、ガラスの欄間を取り付けたので、様子は変わってしまった。


「ろ」の字も「竹」の字も何かの目印と思われる。このほかにも数ヶ所だけに文字が残っているが、落書きみたいなものはどこにも見当たらない。

2008年4月7日月曜日

井桁の構造

土蔵の解体は2007年3月に行われた。引き続きそのときの写真である。

建物は4間X7間の単純な長方形で、四囲の壁には写真のように、ほぼ半間の間隔で柱が立ち、それと交差する横板が井桁格子状に組まれていた。

柱は外壁に塗りこめられていたから、その様子は解体時でなければ見えない。 もっとも建物の内部では右の写真のように、縦の柱も横板も露出していたから、 どのようになっているかを理解することはできたであろうが、壁全体がこのような井桁状態であることを目にする機会はありえなかった。

昆鳥庵では、壁の柱は残してもらった。もちろん掃きだしや出入り口になったところなどは、残すことができなかったけれど、窓のサイズも柱の間隔にあわせて可能な限り残してもらった。横板はすべて取った。土蔵にはわずかな窓しかないので井桁でもかまわないけれど、住まいとなるとうまく行かない。

現在の昆鳥庵の出窓を外から見たのが左の写真である。上の解体写真の一階に幅一間の大きな出窓をふたつ作ってもらった。窓の中央には元の柱が残っている。出窓だからこれができた。

部屋の中から見ると右の写真のようになる。かつて横板が通っていた細長いホゾ穴が建物の過去を語っているかのようだ。

(御所野博物館のYさんから、鳥取環境大学の浅川教授がで姉帯の土蔵を調査された際のことがブログLablogで紹介されていると教えてもらった。ありがとうございました。)